「万般皆下品、唯有読書高(学問こそ至高)」という士大夫の観念の影響で、多くの親は学歴を高収入への切符と信じ込んでいる。しかし現実には、学歴と収入の間に必然的な相関はない。配管工などの技術者や商売人は専門技能と勝負勘で稼ぎ、収賄やインサイダー取引で暴利を貪る者に至っては学歴など無縁である(高学歴は起訴状の罪名を少し高級に見せる程度に過ぎない)。
学校すらなかった3千年前の太古、先人たちはなぜ知識を求めたのか?理由は極めて純粋だ。第一に、知識は恐怖の特効薬である。天体力学を理解してこそ、彗星の出現や日食に怯えて生贄を捧げる迷信から解放された(彗星曰く「通りすがっただけですが」)。第二に、知識は吉を呼び凶を避ける生存の知恵である。二十四節気を把握し、春に種を撒き秋に収穫することで冬の飢えを凌いだ。第三に、知識は人生を味わうためのものである。大自然の精緻な秩序の中に、優雅なコードのような創造主の理性の美を感じ取ることができる。
「知識は役に立たない」と人は言うが、正確には「知識は出世や金儲けの道具としては役に立たない」のだ。知識は金のために生まれたのではない。もし知識を就職や株式の換金ツールに矮小化すれば、知識自身が誤解に泣いてしまうだろう。ただ純粋に「なぜか知りたい」という思いで本を開いた瞬間、人は人間として最も純粋な歓びを味わっているのである。